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| ■つれづれ草 |
【小山 敬三先生】
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父母のこと
生家は小諸で江戸中期延宝年間より醤油、味噌、酢の醸造を営み、茶、塩、
畳表なども手広く商っていた。
父は学問を好み無名だった若い鉄斎とも深い交わりを結び、その傾倒ぶりは
大変なものであった。
その頃の父親の地位は大変に堅固なもので親子は殿様と家来といった格好で
父の膝の上に乗ったり肩に乗るようなことは思いもよらないことだった。
膝を崩さずつねに端座していた父は就寝前には半跏を組み丹田に力を入れ
呼吸を整え雑念を去り三十分過ごす習練を一生試みていた。
子供ながら私も正座して丹田に力を入れ雑念を去る鍛錬をさせられたものであ
る。
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父の一生のモットーは
脩誠だった。
実業家というより宗教家で
人生の上で誠を尽くすと
いうことが唯一無二の道だ
とする厳しい人であった。
茶道、華道にも親しみ現在の
私に強い影響をあたえた。
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小山 敬三
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私は小学校入学前から絵が好きで、十二歳の頃には倉にあった古い金蒔絵
の硯箱や調度品を自分の部屋に飾ったり使ったりした。
子供がゴシゴシやるのだから傷みもするし、たまらないことだろう。
ある時それらの貴重品が忽然と姿を消して客間の床の間に端然と並べられてい
た。これを見て大事な品物であることに気付き、お目玉を頂戴するに違いないと
、なるべく父と顔を合わせないようにしていた。
ところが学校から帰って「あっ」っと驚いた。
全部の宝物が前通り私の部屋に置かれていた。
父から一度の叱責もなかった。
父の処置は良き物を日常親しく使っておれば自ら眼が肥え趣味が高まると
いう深い愛情の表れだと思う。
小学校を終える頃かなり厳しいスパルタ教育を受けたが、それは母の同意が
あったからからこそで、両親の深い情けをありがたく思う。
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