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| ■薔薇の肖像 |
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【織田 広喜先生】 野薔薇の家
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三十数年前、その頃家を探しており、祖師谷は安いのではないかと家内と来て
みました。
見渡すかぎりどこまでも畠が続き、家一軒なく、はるか遠くに人影がみえるだけで
す。家内が畦道を走ってその人に尋ねますと、有難いことにこの地方の大地主で
した。
先祖の土地をお売りする事はできないが、お困りならお貸ししましょうと申してくれ
ました。
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薔薇の咲く頃 |
それからが大変。
木材を運んでももらい自分で家を建てました。しかし電気もつかない。水もない。
暗くなると眠りました。井戸も自分で掘りました。足をひっかけて「ヨイショ」と押すと
水がボコボコと。すべてがのどかです。
廻りは草薮と野薔薇が点在し、その花を取ってきては、家の廻りに植え込みまし
た。
その頃、東郷青児先生がパリに行こうと言いだしたのです。
憧れのパリは船で行きます。
家内と六歳の息子を残して、初めてのパリ行きは、三ヶ月の予定です。
マルセイユに着いた時、各家庭の庭先に薔薇が咲き、みるもの総て光輝いてい
ました。手持ちの資金は僅かです。
一日でも長くパリにいたい心は強く、画廊も訪ねてみました。そのうちある画商が
私の絵を気にいってくれたのです。
内地を想い家の薔薇を描いたサムホールの作品でした。
一緒にいた友人達には悪いですが、あゝこれでしばらくパリにいられる!!天に
ものぼる想いです。
その後も薔薇の絵を三枚描き、その上風景や人物画も買ってくれたのです。
映画のエキストラもやりました。ドイツ映画ですが、監督にも気に入られ、贅沢な
ホテルで暇な時には絵も描けました。
余談ですがその映画はカンヌ映画祭に出品されました。三ヶ月の予定が一年半と
なり帰国しました。
我が家についてみると、野生の薔薇が近づけないほど大きく、家を取り囲んでい
ます。これでは頭の黒い狼も近づけません。
野薔薇が家内と息子の留守宅を守ってくれていたのです。
一年後にやっと電気がひかれ、そのままこの地に住みついたのです。
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