 |
|
| ■薔薇の肖像 |
|
|
【島田 章三先生】 バラを思う
|
戦争が一段と激しくなった昭和19年頃、軍港の横須賀に住んでいたボクは、弟と
二人だけで長野市の叔母のところに疎開させられた。
この叔母は父の妹で謡曲と生け花で生計をたてていた。とても躾がうるさく、履き物を
そろえないと叱られ、食事前には仏壇の前で般若心経を読まされたものだった。
そして毎週土曜日の夕方になると近くの娘さんたちが集まって、生け花教室が開か
れた。戦争中なので勿論、みんなモンぺ姿だった。
|
 |
叔母が用意する花は色のついたものは
少なく、木の枝のような緑色が主役だった。
たまに季節によって桃の枝や椿などを使って
いたようだった。
ある時、お弟子さんの一人が赤いバラの花
束を抱え叔母を尋ねてきた。
|
バラを持つ人
|
|
|
その時の叔母の喜びようはなかった。
「章ちゃん、ほら、こんなにバラは匂うものよ」
と言ってボクの鼻先にバラの花束をさしだした。
バラの深い赤の色と甘い香りは
五十年近くたった今でも忘れられない。
ボクは人に頂いたり、自分でバラを買って花瓶に投げ込む時、
いつも、あの頃を思い出してしまうのだ。
|
|
|
| 薔薇の肖像トップへ 前を読む 次を読む |
|
 |