国吉の名を思い出すだけで幸福になる。思わず笑みが漂う。
無心に生きる赤ちゃんと出会った時のような柔らかな頬を感じる。
国吉の青春の作品というとひらめくのは初期の作品である。
10代から国吉は大好きな画家であったが、その頃特に円熟期の
女性像の作品に惹かれた。
ある一時期、国吉の作品を手元に飾っていた時代があった。
1925年と1935年の作品であった。月日と共に深く魅せられていったの
は初期の作品であった。
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なぜだろう?・・・
不思議に思いながらも愛着が
増していく。
子供の持つ無邪気さ・無垢さ。
未来は永劫のごとくふんだん
にある。
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ときめきが噴水のごとく、無意識にあふれ出てまぶしいくらいだ。
絵画には不可思議な力が内在している。
<見えざる神の手>とでもいうものを、感じるのである。
10代の時には己が幼かったためか、子供を描いた国吉の作品を見ても
それほど心に訴えてこなかった。逆に哀愁漂う魅惑的な女性像や高貴
な哀しさに憧憬した。タバコを吸っている娼婦の作品もあったが、タバコ
すらどんなアクセサリーより美しいと感じた。
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青春とは渦中にいる時には有難くも何とも無い、鬱陶しい時代なのか
もしれない。失ってみてはじめて知る、誰にもある尊い目くるめくような
一時期の産物なのかもしれない。
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画商はある意味で因果な職業である。どんなに好きな作品も本能的
に商品として見てしまう。好きな作品ほど絵画の良さを理解して下さる方
に嫁がせてあげたい。せめてもの切ない愛情表現なのである。
亡くなった初恋の人を偲ぶような、哀切な想いで手放してしまった作品を
懐かしむ。
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好奇心あふれた初期の国吉の作品は
喪失した分身のように恋しい
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